君と刹那の夢を見よう

永遠なんて言わないからさ

黎明の空に祈る

第二章の幕開けは、抜けるような青空が広がっているものとばかり思っていた。

 

 

結局のところ、わたしはSexyZoneにきれいなものばかりを見せてもらって、愛をもらってばかりで。

彼らに少しでも寄り添いたいし愛を届けたいと思っていた気持ちは"つもり"でしかなかったのかもしれないなと感じた。

 

 

ChapterⅡ、静岡公演に行ってきました。

(ここから先ネタバレ多分に含みますのでまだ行かれていない方はブラウザバックを!)

 

 

ここ数年のライブの構成とはガラッと変わってはじめは戸惑いもあったけど、日を経るごとに彼らの不器用でまっすぐな歩みが愛おしくなるし、信じてくれているんだなと嬉しくなる自分がいる。

 

なぜそう思うに至ったか、自分なりのChapterⅡ解釈をここで整理していこうと思う。

 

 

まず今回のライブを見ての感想として、あらしコンっぽかったなーってのが第一にある。

untitledとかLOVEとかの系統のあらしコンぽい構成かなと個人的には感じていて。

ダンスセクションも増えたし新たなチャレンジをしながらそれぞれのメンバーにスポットが当たる時間もメリハリがついて。

そしてもともとせくしーは歌詞を大切にしてセトリが組まれてる印象があったけどより物語性が強まってライブ一本通してずっと軸がブレないのが新しいなと感じた。

思い思いに表現して散らかったものをたくさん寄り道しても最後に伝えたかったメッセージをぎゅっと集めて見せてくる構成が多かったと個人的には感じているので。

 

 

今までの定番曲を多く封印し、ほぼオリジナルアルバムの素材だけで挑んで見せたのも中堅としての楽曲の厚みを感じさせて個人的にはいいなと感じています。

歌って踊って楽しいのももちろん大好きなんだけど、物語性のあるツアーがあるからこそ言葉とかじゃなくただ音に身を任せるのが楽しいライブがより輝くのだと思う。

のっふぁRTTらへんの楽曲に厚みが出て数曲をローテーションできるようになるともっとライブが面白くなっていきそう。

 

 

今回前半の構成はザ・アリーナを踏襲していてあのツアーの平行世界のような世界観でつくられている。

似たような構成ばかりで新規向け、なんて言われたりもしていたけど個人的には昔からの人をないがしろにしているならば昨年のツアーの文脈をあえて持ってくるとは思えない。

最近好きになった人にはむしろ難解な読解を求めているような気がして、ずいぶん信頼されているものだなあと感じた。

昨年のツアーと同じ流れだからこそ生きてくる部分がある。

 

昨年のツアーは「夢と現実」がテーマであったと私は解釈している。

バラエティ的なつくりの中でも随所に「夢」というワードがちりばめられている。

まず開幕のSUMMER FEVERで夢の世界へといざない、ポップなナンバーが続く中でもセクシーガールズの夢オチ、そして休みの日くらい休ませてでどうしようもない現実へ。ぎゅっとで普通があるから夢のひと時はより輝きを増すと説き、Forever Gold前の映像でもアイドルがいなくなった現実世界を描いたのちに人々の夢を背負ってSexyZoneがステージへと現れる。そんな時間を「夢みたいに綺麗に消えてOK?」と問う。その答えを聞くことなく彼らは光の中へと消えていく。

 

簡単にいくつかポイントを書き出したけれど、現実は苦しいこともあるけれど、「輝いて 今がある」から。今を肯定して、夢を見ることをあきらめないという構成はドーム公演を控え、マリウスの卒業に向けても動き出していた彼らにとってこれ以上ないテーマだった。あいさつで「夢が覚めてしまったとしても何度だって夢を見ればいい」とふうまくんが教えてくれた。

夢は覚めてしまったらそれきりなんだって、終わりなんだって思ってきた私にとってはふうまくんのその言葉は光だった。もしかしたら自分にも必死に言い聞かせていたのかもしれないね。

 

とにかく、現実は厳しいこともある。だけど、楽しかったことも、夢見た日々もあるでしょう?またいつか、この厳しさを知っていればとびきりの夢を見られるでしょう?って長年の夢をかなえた彼らが手を引いてくれていたライブだったと思う。

 

 

対して今年のツアーのテーマは「夜の東京」。

はじめはこの第二章は第一章をなかったことにはしないと言っていたから、単に楽曲がブラッシュアップされてグループの色が濃くなり大人の深みが増したクラブみたいな雰囲気になるのかなと安直に考えていた。

しかし、これは単に昨年紡いだ夢と現実の物語の続きではなく、間違いなく並行して存在しているけれど見て見ぬふりをして進んできた側面を丁寧に拾い集めて歩み直すものになっていると感じた。

 

現実は厳しい。だから夢はより輝く。

夢はまぶしい。だからこそ、現実は苦しい。

だけど、歩まなくちゃ夢には出会えない。

 

そう。「いつかいいことがある」とか、「これを乗り越えたからより幸せに感じる」とか、それももちろん本当。

だけど、「今この瞬間苦しいのは苦しいでしょう?」というのも本当。

でも苦しさをどうにか抜け出さないと新たな試練にも夢にも進めない。

だから自分たちは新たなチャプターを歩んでいくという宣誓と覚悟を見たライブだった。

 

 

ザ・アリーナの底抜けの明るさの中に垣間見る切なさと、ChapterⅡのセンチメンタルな中に差し込むわずかな光は表裏一体なのだと感じる。

だからこそ、同じ構成で始め、メンバーのソロでそれぞれの表現を見せてから新たな物語へと分岐していく構成になることでそのメッセージ性がより強まるように感じる。

ただこれは初見で感じたわけではなく、家に持ち帰って咀嚼した時に感じたことなので、もう少しわかりやすくちりばめてもよかったのかなとは思う。

私は幸いにして意味を考える行為が好きだし、嵐のライブは文脈があって当然という感じでこういう物語性の強いライブに抵抗がないので(それが正解かどうかは置いておいて)こうして楽しむことができるけれど、アルバム自体のもつ文脈とグループの歩みを前提とした文脈が入り混じっていて今回は難しいことをやっているなあと思った。正直めちゃくちゃワクワクしました。ふうまくんと同担なので。。

これが一発で多くの人に咀嚼してもらえるステージづくりになるともっと無敵になると思う!!

 

 

私は安直なので夜をイメージしたライブと聞いて「夜」にポジティブなイメージを反映していた。あれだけ整理がつかないと言いながらはい今日から第二章お手並み拝見ですよと言わんばかりの切り替えをつけている自分に情けないながらもこのライブに行って気づいた。

 

 

彼らは逃げていた。厳しい現実から。襲い掛かるさみしさから。夜の闇から。

ただただかっこよくてめちゃくちゃ癖に刺さったOvertureの映像も振り返ってみると切なさに胸が苦しくなる。

 

 

5人でいた時間をそう多く見ることができなかった私でさえ、この年末の出来事は寂しくてたまらなかったし、愛おしかったし、ずっと続けばいいと願った。

家族より長い時間を共にする彼らが、寂しくないはずがない。

わたしなんかよりずっとずっと寂しくてまだ整理がつかないんだってことを分かっているようでわかっていなかった。

 

 

 

「甘く溶けて あふれるほど 愛しくてやるせないけど」

「痛み抱いて取りこぼさないで 傷もなんもない心なんて魅力なんてないでしょう?」

「信じていたいんだ 何度阻まれても 暗闇の向こう側に I see the未来」

「寂しい夜は 早送りして 時間を進めたいね」

それでも夜は明けるけれど 君にとってはツライんだろうな」

 

「夜は長いけど 朝日を見るため」

 

 

ポジティブだけを届けることもできる。

それがアイドルとして正しいと思う人もいると思う。

 

 

だけどSexyZoneはあまりに不器用に、愚直に我々と対峙してくれる。

見落としていた感情を救い上げてくれる。たくさん寄り添ってくれる。

信じてくれているんだな、とうれしくなると同時に信頼に値する人間でなくちゃいけないなとこちらも改めて帯を締めなおすような心持ちです。

 

 

まぶしい夢の前後にある、長い長い夜。

 

 

今回セトリ落ちした中で意外だったのはMessageとRUNだったのだけれど、どちらも夜明けの後を描いている曲で、どこまでも徹底されているなと感じた。

オーラスのダブルアンコでさ、冠でもドームでも彼らの夢がまた一つ叶って空が白んできたら歌ってほしいなって今は祈っているよ。

 

 

このセトリを組むのにホテルにこもって作業して、歌詞と向き合いながらグループの思いを反映させてこの物語を紡いだふうまくんの背中を想うと、ね。

 

「俺らが倒れちゃったら誰もついてこれなくなっちゃうじゃん だから前向きなこと言うしかねえけどさ」「寂しくて別にいいんじゃないかな」ってあの日こぼした少しの弱さがどうしようもなく苦しくて。「ごめんやっぱあなたが好きでした」と綴った0時半から時が進んでいないことが苦しくも少し安心していたりもして。

だから第二章をさみしくて長い夜から始めることができて、切ないけど良かったんだと思う。それでもいつか来る夜明けに朝日を見るために、待つんじゃなく走って迎えに行く彼らが好きだなって思う。

 

東京の夏の夜は雑多で、騒がしくて。

四六時中煌煌とネオンが輝いているはずなのになぜだか仄暗くて。

うだるような暑さの中で自分一人がこの闇に取り残されているような、もう夜が明けないような、そんな感じがする。この雑然とした空間の中では、もう闇に溶け込んで流されたほうが楽なような、そんな気持ちに襲われることもある。

だけど彼らは、走り出すのだ。まだ見ぬ朝日へと向かって。この世界にLoveとTruthが溢れていくことを願いながら。

この雑多な東京に訪れる朝だって明るくて、妙に澄んだ空気であることを知っているから。

この出会いの季節でも別れの季節でもない夏に、彼らは第二章へと歩を進める。

その歩みを応援したいと思う。

 

 

なにぶんこうして文章を書くのがかなり久しぶりで(せくしーのことを書くのはほぼ初めて)うまく書けた気がしないのだけれど、少しでも伝わっていたらいいなと思う。

 

 

 

朝日はやさしくて淡いオレンジの光だから、きっと大丈夫だよ。

彼らの進む先が、まぶしい光で包まれていますように。

大好きな人の歩む道が、どうか愛にあふれていますように。